※私は特定の集団を指しているわけではございません
非常に心に響いた言葉がありました
こちらのブログに出てくる言葉です
ドイツのニーメラーという方が語っていました
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
彼はナチスドイツが敗戦した第二次世界大戦後に、後悔と自責の念から我々に警告しています。
ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は第一次大戦に敗北し、屈辱な思いを抱き続けて暮らしていたドイツ国民の中から誕生しました
彼らは貧窮した経済を立て直し、国民に誇りと安定した暮らしを取り戻すことを約束しました
その影で、自らに敵対する組織の者を次々を排除してしていきました
一斉にするのではなく、細かく分けて行いました
このような手法を「分断支配」というらしいです
ニーメラーの言葉は、その恐ろしさと巧妙さを注意しています
自分とは関係のない人たちのことだから
家族にはいないから
友人にはいないから
そう、自分には無関係
だから反対しない
そうしていくうちに気づいたら自分が標的になっているのです
そして、誰も助けてくれませんでした
なぜか?
自分も助けなかったからです
誰も自分を守ってくれない人を救ってはくれません
いかに、「おかしい」・「絶対に間違っている」と思うことに対して、声を上げることが大事かを思い知らされます
学校や職場で起こる「いじめ」も同様です
誰もが正しくないと思っているのに、止められない
自分には関係ないから と
実際は関係があるのに
そこに属している時点で自分も当事者なのです
そのうちあなたが標的にされます
傍観している場合ではないのです
勇気を持って声を上げることの大切さを痛感しました